戦略的撤退だと思われたい

若者+京都+田舎+移住+古民家+シェアハウス-気合い=0

映画のパンフレットという参考書籍

先日、京都の出町柳にある出町座にいきまして。行ったことないので、見に行きたいというのが訪問の理由だったのですが、そこでいろんな映画のパンフレットが中古販売されていたんですね。

ぱらぱら見てると意外と綺麗に組んであって、しかも文字量もそれなりに多いという小規模出版系の小冊子の参考になる発刊物だということに気づきました。

前職で制作していた本の関係もあって、とくに僕が集めているのは左開き(横組み)の冊子、写真ばかりでなく読ませる分量の文字がある冊子なんですよね。

というわけで、いくつか購入してきたので軽い参考に画像を。

 

買った本は四冊。その映画らしい表紙も参考になりますね。

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これが一番好き。

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背景全面で、文字量も結構多いのに、すっきりしてますね。

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けっこう関係者のインタビューも多い。

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映画のパンフレットは著名人の感想が載るんですね。これもうまくビジュアルに落とし込んでいて参考になります。

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ちょっと古くささは感じますが、いい感じ。

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縦びらき。白場をうまく使っててきれい。

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途中からは一色刷り。ここも安っぽくなくて全体にあってます。

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そもそも映画みないので買ったことなかったのですが、ヒントがたくさんありますね。大きい会社なのかもしれませんが、こういう冊子を作る会社も楽しそう。

みんなふつう−大槻ケンヂ『サブカルで食う』角川文庫

大槻ケンヂ『サブカルで食う』を読みました。筋肉少女帯が好きでよく聴いていて、オーケンはずっと好きで。けど、あまり著作を読んだことがなかったので、文庫化を機に購入。他の本も読む予定。

 

オーケンといえば、楽器ができるわけではないがバンドのフロントマンで、歌い方も歌詞もめちゃくちゃかっこいい。リアルタイムで知ったわけではない僕にとっては、CDのなかのカリスマでした。暗くてなよなよしてるけど、かっこよくてしびれる。ならば、彼の思想であるとか生き方というのはおそらく共感しつつも驚かされるようなものに違いないと思っていました。

ところが本著でオーケンが語る「サブカルで食う」極意は、むしろものすごくふつうのことで。極意は三つ。「才能、運、継続」これだけ。

「え?めちゃめちゃふつうなこというな」と僕はとてもがっかりしたのですが、このがっかりの正体を自分なりに掘り下げてみるとそれは、オーケンへのがっかり感ではないんですね。つまり、オーケンほどのカリスマであれば「サブカルで食う」ための驚くような、これまで僕が考えたこともなかったような、答えを提示してくれるはずと思っていて。でも実際はそんなことはなくて、何かを成し遂げる方法は地道な継続しかないんだという答えにたどり着いてしまった(自分も気づいてしまった)というがっかり感なわけです。

オーケンは才能と運はどうしようもないことだと書いています。そりゃそうですね、だからオーケンを含め当事者である自分が能動的にできることは「継続」だけなんですね。結局「継続のみが力なり」なわけです。

 

一方で「サブカルの人でいるということはどういうことなの?」ということについて、姿勢を改めようと思えるような言葉がたくさん登場しました。

 

それを受容することばかりに心地よさを感じてしまって、観る側のプロみたいになってしまうことってよくあるんです。
だからといって、批評、評論の目を養うわけでもなく、それこそツイッターとかに「今日はそこそこよかったなう」とかつぶやくだけで満足してしまう。それでいてチケットの取り方だけは異常に詳しい……みたいな。そういうのを「プロのお客さん」というんです。
(中略)サブカルになりたいならば、その結果、受容したものを換骨奪胎し、自分なりの表現としてアウトプットすることが重要です。(p36-37)

 

オーケンにとってそもそも「サブカル」であるということは、受容者ではなく発信者であるということで。それは僕自身ももともとそうだったはずなんですね。でも、いつのまにか大人になるにつれて、発信しなくなっていた。自己表現しなくなっていた。にもかかわらず「自分はサブカル的な人であるはず」という意識だけがいつまでも残っていて、実際はサブカルからかけ離れた存在になっていることに気付かされます。

 

じゃあ、自己表現をすればサブカルに戻れるのかというと、そうではありません。サブカルと呼ばれる分野は実際は「なにがサブカルなのか」という定義がありません。実態がないサブカルを追うだけでは「サブカルで食う」ことはできないとオーケンはいいます。

 

自分が底上げしたいと思えるジャンルやシーンを持っているということ。「俺はこれをどうしても世に知らしめたい!」と情熱を傾けられるものがあるというのはやはり重要だと思います。(p150)

 

僕はなにを底上げしたいんだろう。今更ながらそんなことを思い返します。「もともとは漫画が好きだったはずで、あと音楽も好きだったよなあ。でも最近は漫画読んでないし、音楽もそこそこしか聞いてないなあ」とか思うわけです。これではまずいこれではまずい。

 

ゆるりゆるりと「サブカルで食う」どころか「サブカルから離れる」ことになっていた自分に気付かされたわけです。自分が推したいものを掴み直し、自分なりに変換し自己表現をし続ける。ものすごく単純で、地道な方法の先に「サブカルで食う」があるということを知る機会となりました。

 

あと、最後に掲載されていた宇多丸さんとの対談のなかでいいなと思ったところがあって。サブカルでいるためには、「自習」が欠かせないと二人は語っています。つまり、いろんなジャンルのものを受容しようねということです。ただ、どんなジャンルであっても、「なにがよいのか理解できない、けど名作と言われている作品」があります。こういったものを「つまらん、なにがよいのか理解できない」と作品のせいにしてはいけないとも語っています。

 

「違うんだよ、「俺はコレで抜けるオトナになるのだ!」っていう確固たる覚悟を持って臨むんだよ!(p170)

 

サブカルでいる、サブカルで食うということは、思ったよりスポ根なようです。

俺の能力は光を操る力だ(Godox TT350F(スピードライト)を買いました)

こないだDR-10SG(ショットガンマイク)を買ったばかりですが、動画撮影はあんまりしないまま、また買い物をしちゃいました。

購入したのは、Godox TT350Fというスピードライトです。いわゆるストロボライトってやつですね。海外製のやつなので、純正ではないのですが、評判がよかったので。

 

ネットなんかでカメラの勉強をしていると「ステップアップするなら、ストロボを学べ!」みたいな記事が結構ヒットします。

そういった記事のなかで共通している考え方は「カメラの本質は、光と影を写すことである」ということ。それに影響されて、買うしかないなと思っちゃった感じです。

 

で、いざ購入してみてようやくその特徴や光にできることできないことを意識しはじめるわけですが、正直まだストロボ自体の機能を把握しきれていません(TTLという自動調光モードしか理解していない)。

一方で、ストロボの使い方の基礎みたいなものは実際に撮影してみたり、ネットの記事を読んだりして少しずつ理解してきたように思います。理解できてきたことだけ少し整理してみます。

 

①直接被写体に光を当てない
基礎的なストロボの考え方は「自然光や主光源の補助」みたいな感じらしいです。と考えた時に、被写体に対して正面からあたる自然光はそんなに世の中には存在しないということが、ヒントになります。太陽光は基本上から降り注ぐのでカメラの上につけたストロボで直接被写体に光を浴びせてしまうと、「自然には存在しない違和感のある光」になるみたいです。
加えて、正面から光を当てると、顔の影が消えて立体感がなくなり、平たく見えてしまいます。
学生のころ映画を撮ってたことがあるのですが、そのとき光の作り込みで照明担当の人は、「主光源のフォロー」「おさえ(影を弱める)」「バック(被写体を浮き立たせる)」の3つの照明を一度に作っていたような気がします。自分でもよくまとめられませんが、撮りたいもの次第でストロボがたくさんあるなら、静止画でもこのような考え方になるのかもしれません。

 

②天井や壁を経由させる(バウンス)
じゃあ直接当てれないならどうすりゃいいのかというと、光を柔らかくしつつ自然な場所から光がくるようにします。そのために、いろんなところを使って光を反射させるようです。バウンスと呼ぶみたいです。

・天井を使う
バウンスのもっとも基本的なやり方は、天井を使う方法で、ストロボを上に向けて撮影します。光は入射角に応じて反射しますので、被写体の光を当てたい部分(影を作りたい部分から考える)に応じて、ストロボの角度を調整すべしとのこと。
天井が高すぎ、暗すぎ、角度が違う、などのことがあるとうまく機能しないみたいですね。あとは色付きの天井だと光の色までその色に変わってしまうので、現像時にホワイトバランスを調整する必要があるみたいです。

 

・奥と左右の壁を使う
壁は、奥の壁、手前の壁、左右の壁があります。奥の壁だと、被写体に直接当たらないように注意する必要があります。効果としては①の最後に書いたように「バック(被写体を浮き立たせる)」力があります。ブツ撮りなんかだと綺麗な写真は奥から光がきているように作っているものが多いなんて記事も見かけました。
左右の壁は、まだよくわかりませんが、光源が左右にあるときや顔などの被写体にくっきり影をだす演出をしたいときに使うのかなと思います。

 

③ストロボとカメラどちらで明るくするか考える
ストロボで光を作って明るくするわけですが、元を辿ればカメラ本体でも明るさをある程度確保することはできます。というときに、考えなきゃいけないのはストロボとカメラどちらで明るくするかということみたいです。基本的にはカメラを暗めにしておいて、ストロボで明るさを確保するのが大事なよう。

・光を作り込むべきときは、カメラはかなり暗めでOK
例えば蛍光灯だとかいろんなタイプの照明が混ざっている場所だとミックス光と呼ばれる、あまりよくない光の状態になります。カメラ本体で明るくすると、こうした環境光の影響をもろに受けることになります。なのでカメラ側ではかなり暗めに設定しておいて、ストロボの光で綺麗な光に変えてしまうことが必要になります。

・ストロボでは力不足なときは、カメラでそれなりに明るくする
一方で、ストロボの光が全体に行き届かないような広い場所で撮影する場合は、カメラを暗くするのは控えめにしておかないと、そもそも暗い写真になってしまいます、カメラ側の設定はそれなりに明るめにしておく必要があるということです。

 

④背景と被写体の明るさを別に考える
夜景と人、みたいな撮影をするときによく起こるのが、人を綺麗に写すと背景が明るすぎる。背景を綺麗に写すと人が暗すぎる。という状態です。
こういうときには、その二つの明るさを別物として捉えるようです。背景の明るさをカメラ側で調整して、そのぶん暗くなってしまう人物側の光をストロボでフォローするような感じですね。③の二つの例のハイブリッドみたいなイメージでしょうか。
このときは、直接被写体に光当てていいんでしょうか。いまいち調査不足です。屋外なので反射はさせられません。おそらくデュフューザーみたいなものをつかって、光量を和らげて自然光に近づけるのではないかと思います。

 

「いつストロボ使うの?」みたいな質問に対する回答として、いろんなカメラマンが答えているのが「常に使う。使わなくて成立するのは屋外の日中のみ」というようなものが多数を占めている印象があります。ここ一番でストロボを取り出す、というのではなく常日頃から使っていって勉強したいと思います。

ペーパードライバーの愛とかなしみ その2

脱ペーパードライバーを目論み、その第一歩を踏み出しました。しかし、まだまだマスターへの道は遠い。

 

そう「一人きり」で運転するというステップがやってきました。よく考えると、免許をとった時はもちろん横に教官がいましたし、これまでちょびっと運転した時には、親や知人が同乗してましたね。

 

で、はじめてやってきた一人きりの運転の機会。
問題になってくるのは
・周りに危険(注意すべき点)がないかの確認
・車同士の譲り合いやルールの遵守
といった、状況に応じたことです。


隣に人が乗っている時は、当たり前のように指摘があったり、同乗者側で無言で判断してくれていることがあるわけです。

 

一人きりだとそれがない。となると怖さがやってくるわけです。自分が先にいっていいのか、この進み方は交通ルール上良いのかなど不安が襲って来ます。

 

で、ぼくとしては「全ての問題に対処できるようにマスターしなければいけない」
というようなことを考えて頭がパンクしそうだったのですが、
最初から全てできるわけではありません。
そこで、運転素人が習得に力を注ぐべきことになんとなく気づいて来ました。
それは自分がよく通る経路上の注意箇所を覚えて注意することです。

 

運転素人が急にいったこともない遠くまでいくことはないでしょう。お仕事で色々なところに行かなければならないということもあるかもしれませんが、本当ならそれは大体練習が終わって、素人を脱した後が望ましいというかんじな気がします。

 

とくに僕は移住して田舎に移り住んでいるので、危険なポイントは結構数が限られてきます。というか、交差点や急なカーブも数がしれているので、
「ここは危険だな」とか「ここには急なカーブがあるな」
ということを毎回毎回アドリブでやるよりも事前に記憶していたほうが頭を使わずにすむのです。

 

運転に限らずなんでもそうだと思いますが、最初のうちは意外と暗記してしまったり、何かに絞ってあたったり割り切ってしまった方が良いケースが多分にあるなと思います。

DR-10SG(ショットガンマイク)を買いました

いつか動画はやりたいよなあなんて思いながら、NDフィルタを買ったり、三脚を探したりしています。で、ラジオとかにも使えそうなので、DR-10SGを買いました。

 

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二万円ちょいでした。このマイクを選んだのは、知り合いのおすすめだったんですが、ちょっと変わったものなきがするので、軽く紹介します。

 

①レコーダーとマイクが一体型になっている

画像をみてもらうとわかるように、奥がマイクで、手前の四角いのがレコーダーです。なので基本的には「ボイスレコーダー」です。ボイスレコーダーって長方形のやつを思い浮かべますよね。あれはマイクが内臓されてますが、これはそのマイクが外側についているイメージですね。

 

②付属の端子を使ってカメラに音声を記録することができる

普通のイヤホンジャックみたいなやつを使うことで、マイクで拾った音声を本体のレコーダーだけではなくカメラに記録することができます。よくある端子ですね。「だけではなく」と書いたように、レコーダーである本体にmicroSDで記録しつつ、カメラでも記録できるという二重の録音ができるかんじです。

そもそも論ですが、知人いわく、ミラーレス一眼などで音声を記録する時に、外部マイクを使ったとしても、カメラ側でノイズが乗ることも多いらしい。そのためカメラとマイクをつないで録音するというのも限界があり、結局外部録音のほうが望ましいらしい。そういう意味で、レコーダー単体録音がそれなりの品質でできるのは強みらしい。

 

③レコーダーのみ、カメラのみ、両方の3パターンの収録方法がある

上と関連することではありますが、3パターンの収録方法があります。レコーダーのみのときは、普通にボイスレコーダーライクに使用して録音します。

カメラのみのときは、レコーダーとカメラをジャックで接続します。そしてレコーダーの録音ボタンは押さずに、カメラ側で録画させます。このとき、レコーダーの電源がオンになっていないとそもそも収録できないです。注意したい点ですが、設定で電源が自動で切れてしまう設定をオフにしておかないと、途中で勝手に音声が切れてしまいます。

両方で録音する場合は、レコーダーとカメラをジャックで接続して、レコーダーの録音ボタンもおして、カメラの録画を開始することで可能になります。ここが若干めんどくさいのですが、レコーダーの録音ボタン/カメラの録画ボタンどちらも押さないと始められないですし、終われないのが難点です。片方をつけ忘れたり、反対に消し忘れたりはかなりありそうな予感。それとも、両方のレコーディングを一括で制御する設定があるのか・・・?

 

④(X-T2の場合は)駆動音やAF音はそんなに拾わなさそう

価格の割には優秀な気がしてます。余計な音はあんまり拾わないです。気になるようなら、カメラとマイクの距離を遠ざけるためのものも付属しているので使うとよいでしょう。

 

⑤最高品質ではないだろうが、ジャック共通なのでiphoneなどでも使用できる

かなり一般的なジャックなので、家庭用ビデオカメラやiphoneスマホなどでも使用できました。集音性や指向性については、正直よくまだわかりません。ちゃんとした記事をみるとよいでしょう。

 

⑥そのほか

単四電池一本で動きます。バッテリーは内臓されていません。そのぶんかなり軽い印象です。

質感は結構ちゃっちい感じではあります。おもちゃみたいなカチカチ感です。別に気になりはしませんが。

あとカメラにはアクセサリーシューでくっつけることができます。また三脚の雲台にもつけらます。

 

動画を撮影する態勢が徐々に整ってきました。あとはちゃんとした三脚(とできれば広角レンズ)を買えばとりあえず機材は揃いそうです。

バトル漫画におけるつよさインフレをとめたい

少年漫画みなさん好きですか。ぼくは好きです。バトル漫画も大好物です。ただ、バトル漫画って結構「インフレ」しちゃって萎えちゃいますよね。「インフレ」ってどういうことかというと。ストーリーを展開していきたい→主人公をどんどん成長させていくにつれて敵も強くなっていく→序盤の敵が雑魚になる→つよさの指標が破綻するというかんじ。インフレしても面白い漫画ももちろんたくさんありますが、「どうすればインフレせずに展開できるのか」というのはバトル漫画における命題のひとつでもあります。

 

たとえば、四天王と呼ばれる敵がいるとして、序盤に登場した四天王はもちろん弱い状態の主人公に倒されるわけです。そのため、終盤の成長した主人公と対峙する最後の四天王との強さの整合性がとれなくなるというような。ふつう四天王って並列で言われるくらいなんだから、強さもそこそこ均等なはずではということですね。

こうしたことがなぜインフレと呼ばれるかというと、つよさの指標を数字にするケースで破綻することが多いからです。ドラゴンボールの戦闘力や幽遊白書の後半の妖力値ですね。最初が5とか80なのに、最後何百万とか。

 

なぜこんな話をいましだしたかというと、マンガワンという小学館系の漫画アプリで『史上最強の弟子 ケンイチ』という漫画が久しぶりに掲載されていて、読み直して優秀だなと思ったからです。

史上最強の弟子 ケンイチ』は、いじめられっこで日陰者のケンイチが、梁山泊という道場(?)に住まう様々な武術の達人の弟子となり修行することで、「闇」と呼ばれる巨悪と戦うまでに成長していくという筋書きのバトル漫画です。

なぜ優秀か。それは「達人」というクラスと「弟子」というクラスが明確に分けられているからです。それらは単なる呼称ではなく、階級として確実に存在しています。作中全編を通して、ほぼ弟子クラスが達人クラスに勝利することはありません。

ケンイチが弟子入りする梁山泊の面々は達人クラスで、最初っから強さの頂点にいます。そして、ケンイチは弟子クラスなのでどれだけ強くなろうとも作中では師匠を超えるということはありません。あくまで史上最強の「弟子」です。

とはいっても、主人公であるケンイチが恐ろしく強くなって弟子クラスから達人クラスになり最強になってインフレが破綻していく展開もあるわけです。そうならずに二階級構成が成立しつづけられる要因はいくつかあります。その一番大きな要因は、敵も味方も武術家であり、達人同士/弟子同士での戦いの構図を原則破らない(例外はあり)ため、弟子が達人と対峙しそれを撃破しなければならないという状況にあまり陥らずにすむことです。

「戦わなくてすむ自分よりも強い相手」を設定することは実は簡単ではありません。世界征服を目論む魔王と倒そうとする勇者という基本の構図のもとでは、勇者よりもつよい敵が、勇者を倒さないでいてくれるということはないからです。ではそこで勇者よりもつよい敵よりも強い味方を出すとします。すると、その人が全員を倒してまわればいいという話になってしまって、「隠居」だの「途中退場」だののギミックが必要になります。その結果、勇者よりもつよい敵はたくさん出すことができず、結局のところもとの魔王と勇者という構造に戻ってしまいます。

ケンイチの場合は、そもそも達人はケンイチを相手しておらず、ケンイチも達人を相手にしていません(勝てると思っていません)。それは、明確な階級さとその階級を破らせないルールが存在するからですね。

 

ぼくもこの二階級構造を使って、インフレしないバトル漫画の設定を一人夜な夜な検討していますが、武術家としてのルール、達人/弟子という、直感的に誰にでもわかりやすいルールはなかなか見つけられていません。

xf56mm(フルサイズ85mm)が切り取るもの

先日購入したレンズ、xf56mmでちょこちょこ撮影をしています。理屈や知識としてはうっすらわかってはいましたが、実際にいろんなものにカメラを向けてファインダーを覗くと想像とは少し違う景色が切り取られていることに気づきます。

 

元々は「おそらく人とかを目立たせるんだろうなあ」「風景とかも主題がうかびあがるんだろう」という印象。では、実際どうだったか、いくつか練習した写真を見ながら感想を。できなかったことや不十分だったところを言いますが、レンズだけのせいではもちろんないので、このレンズでもそういったことをうまく撮れるように工夫する力をつけたいですね。

 

①状況設定を説明するには、情報量が絞られている?

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国道沿いの木々が美しい広場でやってた市場と出店の写真。国道というのはわからないのは当然としても、この写真に写っているのは「出店?っぽいところ?」のみ。ここが広場で、美しい木々があって、というところまでは説明できませんでした。

 

②ちょっと●●もチラ見せしたい!に工夫が必要なときがある

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きれいな畑?だったので撮影。チラっと空も写したいと思ったものの、うしろにはそれ以上ひけず、結局空は入ってませんね。撮影位置が不自由な場所だと、なかなかプラスワン要素が難しかったです。

 

①「名詞ひとつ」の紹介はばっちり

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これはさすがに頭上の木なので、空が入っていますが、基本は「いちょう」ですね。シチュエーションやプラスワンはなかなか入れづらいものの、ひとつのものにフォーカスした写真は綺麗にとれる画角だと思いました。

 

まとめ

腕の問題が大きいですが、あまりにもひとつのものだけを切り取った場合、「綺麗だけど、だからなんなん?」という印象にも陥ります。まわりの要素も含めたストーリーとシチュエーションが欠かせない被写体に関しては、工夫たっぷりで撮影していく必要がありそうです。